くいだおれ

くいだおれ太郎のつぶやき

くいだおれ太郎のつぶやき

ばかたれ、しっかりせ

ばかたれ、しっかりせ

大阪名物くいだおれはあと一週間で閉店してしまう。
太郎さんの自伝の方は読み終わった。最近の写真や話題が多いことから閉店に間に合うよう大急ぎで作ったのだな、と言うことがよくわかる。この本の中ではすでにくいだおれが過去形で語られている。なにもかもがはやい。
太郎さんの言葉遣いがとても好きだ。穏やかで、元気で、若々しいけれど落ち着いている。太郎さんが世を恨んだり時代の流れを拗ねたりしないからなお哀しい。太郎さんがあの場所で太鼓を叩き続ける大阪の未来はないのか。

読了

やすし・きよしの長い夏―大阪狂騒曲

やすし・きよしの長い夏―大阪狂騒曲

オヨヨ書林(地べたのほう)にて購入。1050円。


お笑いには興味がないので、やす・きよも当然見たことがない。この本は副題が「大阪狂騒曲」ならばお笑いのことにとどまらず大阪それ自体のことも書いてあるのだろうと手にとってみたら、書き出しが著者の大阪観から始まっていたので読みたくなった。
著者は早稲田卒(つまり東京暮らし経験後)、この本を書いた時点で大阪に14年暮らしたとある。今のところ、私はこんなふうに「よそから行って大阪の人になった」人の書くものが一番しっくり来る。
「日本に大阪という街がなかったら、なんだか気詰まりな国になってしまいそう」ということから始まり、ニューヨークと大阪は似ているそうな。私はニューヨークに行ったことがないからわからないけれど、「好きやねん大阪」が「I LOVE NEW YORK」からきているとは驚いた。
西川きよしのトップ当選からやす・きよの復活までを書く。やすしの記述が多いが、着地点がコンビの復活であるためか、あくまで「やす・きよと言うコンビがどうなるか」を常に気にかけているため、ひとりが話しているときも常にこの人の単位はふたりであると言うことが忘れられない。読み終わってから次の本を探し始めて、やすしの名前だけを冠した本の多さに気づき、最初として良い本に当たったかもしれないと思った。
wiki横山やすしの項の詳細さに偉大さを知るとともにとても哀しくなる。この本の中ではギリギリやすしを支えていた人たちが、抱えきれなくなって次々手を離していったのが詳らかにされているから。この本の最後は祝祭の空気に満ちている。オチを書くことはできないけれど、最後のやすしの言葉はやす・きよをみたことがない私にも、どれほどの勢いと覇気が満ちていたことだろうと想像させる。
「ふたり」を仕事の単位としている人がそのふたりについて語るとき、どうしてこう、過たずいちいちぐっとくるのだろう。どんな何気ない一言でも絶対にそう。


終盤で、著者はまた大阪のことを書く。引用する。

 大阪はチラッと東京を見ていればいいように思う。東京との距離をむしろ大事にして、持ち前の自助精神を発揮することの方が、この街にはふさわしい。

国際化についての部分を引用する。

 しかし、考えてみたい。「国際化」とはいったい何なのか。
 結局それは、地方が地方にこだわることではないのか。
 地方が中央を追うかぎり、その地方は中央の小枝でしかない。地方それぞれがその地方に特有な文化や産業にのっとり、世界を目ざしてその特性を存分に発揮すること、それこそが「国際化」への近道ではないのだろうか。

大阪の場合、地方色を推しすぎて「こてこて」で逆に画一化されたことが問題であると言う記述を最近よく目にする(ソースが少ないから)。この文章は気づかずしてその袋小路に足を踏み入れたしゅんかんの記述とも読めるが、なんばがなんばを、堀江が堀江をちゃんとして特性を発揮すれば、と考えれば、この記述はむしろ今の議論にこそ有効であると思える。とらえるユニットの大きさが、要するに肝なのではないかと思うので、やはり「大阪レジスタンス」が聴いてみたい。
日本の中に大阪があり、大阪の中にやす・きよがいる。この本にはつねに「大阪」と言うやす・きよの外側を意識させた。大阪の人々がやす・きよを取り巻いてその未来に気をもんだり笑ったりしていた。だからコンビの危機にあろうともやす・きよが大勢の人に見守られていると言うあたたかさをもったまま、最後まで読み終えた。孤高の天才の伝記を最初に読んでいたらこうはいかなかったと思う。

大阪女流文学とっかかり

雑誌「大阪人」より。今月の特集がザッツ大阪という感じではなかったのでとりあえずざっと見てきたところ、書評欄で柴崎友香氏と西加奈子氏の著作が紹介されていた。


それで購入したのがまず西氏の

ミッキーかしまし

ミッキーかしまし

これ。「大阪人」で紹介された西氏の著作は「通天閣」だったのだけど、基本的に小説を読むのが不得手なのでまずこっちから。
電車で読むのが危険な本だった。笑いすぎて涙が出て完全不審者。いやぁエッセイでこんなに笑ったのはひさびさ。全編笑える、と言うわけじゃないんだけど、たまに底抜けにおかしくてたまらない。よしわかった。「通天閣」も買ってこよう。
惜しむらくは、このエッセイ使用している書体がものっそい太い。文字間を空ける組み方は好きなんだけどなぜこんなウェイト(Mだろうか)の書体をえらんだんだろう……。筑摩はもっとすっきりした本を作ると思っていたが。
通天閣」もいちど手に取ったことがあったのだけど、冒頭の書体があまりに太くて(Bくらいに見えたがよく覚えていない)ひいてしまってやめたのだった。地の文と区別するならゴチを使って欲しかった……。でも頑張って読もう。


柴崎氏の著作は以前、「フルタイムライフ」を読んだことがあって、帯に書いてあった主人公の女の子の科白が大阪弁だった、気がする。
さて今回購入した

その街の今は

その街の今は

これが、もう、素晴らしかった。あとちょっとで読み終わってしまう。